選挙で選ばれた政治家が政策決定をするという意味での民主主義に対する失望や嫌悪は日本をはじめいろいろな国で聞かれます。しかし民主主義体制が世界の潮流となった現在、この政治のしくみをなんとかうまく使いこなすためのヒントを、「べき論」ではなく、比較政治学を中心とした社会科学における実証分析の蓄積から掘り出してきて一般の人に紹介しよう、というのがこのブログのねらいです。(1ヶ月に1回を目安に更新します)

2015年5月30日土曜日

州都が田舎にあると汚職が増える?


 アメリカでは、州政府の位置する州都が大都市ではなく全く辺鄙なところにあることは珍しくありません。ロサンゼルスやサンフランシスコのあるカリフォルニア州の州都はサクラメント、シカゴのあるイリノイ州の州都はスプリングフィールド、ボルチモアのあるメリーランド州の州都はアナポリスだったりしますが、これらの州都は日本ではほとんど知られていない小さな市です。州都の場所は歴史的な経緯からられることが多いわけですが州都が辺鄙なところに置かれてるほど、汚職がひどくなり、また、教育や福祉への支出割合が低下するという傾向をカンパンテとドによる研究は指摘しています。
 このような傾向が生まれる要因として、彼らは次の点を挙げ、それぞれ実証的に妥あることを示しています。第1に、州都が鄙なところにあると、新聞などのマスメディが州政治に関して報道する頻度が低下します。第2に、州都から離れた地域に住んでいる人々ほど州政治に対する興味を持たなくなり、同時に投票率も低下します。第3に、大都市から離れた州都場合ほど、州都の近くに位置する企業や個人からの政治献金が多くなる傾向があります。これらの点を総合すると州政府が辺ところにあると、メディアや有権者による監視の眼が機能せず、州政府から特別に便宜を図っもらおうとする企業などが付け入る隙を生み、結果として汚職の程度が高くなる、というメカニズムが生まれるようです。同様の傾向は、独裁政治のもとで辺鄙なところに首都を移転した場合(ミャンマー、タンザニア、カザフタンなど)においても報告されています[1]
 この研究はアメリカの州レベル政治の事例ではありますが、マスメディアや有権者による政治家に対するアカウンタビリティー(監視や制裁)の重要性、なかでも、アカウンタビリティー行使の際の情報伝達の重要性を示しているといえます。インターネットが普及した現在、物理的距離が情報伝達に与える影響は低下したといわれるようになりましたが、こと有権者やジャーナリストの政治に対する態度においては「ダイレクトに接触する」ことはまだまだ重要なのかもしれません。

[出典] Campante, Filipe R., and Quoc-Anh Do, 2014, “Isolated Capital Cities, Accountability and Corruption: Evidence from US States.” American Economic Review, 104(8): 2456-81.



[1] Campante, Filipe R., Quoc-Anh Do, and Bernardo V. Guimaraes, 2013, "Isolated Capital Cities and Misgovernance: Theory and Evidence." No. w19028. National Bureau of Economic Research.

2015年5月22日金曜日

政治家の学歴と経済パフォーマンス


先日、元東京大学教授で現在熊本県知事を務めてらっしゃる蒲島郁夫知事の講演を聞く機会がありました。蒲島知事はハーバード大学で博士号を取得した政治学者ですが、選挙キャンペーンの際には博士号を持っているというような経歴は有権者に受けがよくないので、なるべく表だって強調しないようにしていた、とのことです。日本の政治では伝統的に、田中角栄元首相のような高等小学校卒業が最終学歴であった叩き上げタイプの政治家のほうが受けがよいようです。でも、学歴の低い政治家って実際の政治運営ではどうなんでしょうか?

ティモシー・リーらの研究では、政治家の育レベルは高いほうが一国の経パフォーマンスはよくなる、という結果がでています。彼らは、1875年から2004年の期間の世界各国のデータから、大統領・首相が突然の病死や事故死などの理由により「ランダムに辞任」した場合を取り上げ、治リーダーの教育レベルの違いが経済パフォーマンスにどう影響するかを分析しています(こような、ランダムな辞任の事を分析することで、経済状況の悪化を原因に辞任するという逆の因果関係の存在を推定に含めることを避けられるというわけです)。経済成長に影響するとみなされている他の要因を調整したうえでの分析結果は、大学院卒のリーダーの辞任後に同じく高学歴な大学院卒のリーダーが就任した場合には、経済成長率に体系だった変化がないのに対し、大学院卒のリーダーが辞任した後に学部卒業以下のより教育レベルの低いリーダーが就任した場合には、その後5年間の平均で2.1%GDP成長率の低下がみられた、というものです。要するに、学歴に示される(と思われる)リーダーの資質は、一国の経済パフォーマンスにとって重要だという結論です。

もちろん、リーダーの資質や能力が学歴に常に上手く反映されているわけではありません。能力が高くても家庭の経済事情で進学できなかった田中角栄元首相などは重要な逸脱事例といえます。しかし一般的(平均的)には、学歴は能力の高低を示すひとつの重要な指標であることは間違いないでしょう。有権者としては、政治家の「叩き上げ美談」に騙されることなく、教育レベルに代表されるようなリーダーとしての能力をしっかり見極めるのが大事なのかと思います。

 [出典] Besley, Timothy, Jose G. Montalvo, and Marta ReynalQuerol (2011) “Do Educated Leaders Matter?” The Economic Journal, 121-554: 205-227.