選挙で選ばれた政治家が政策決定をするという意味での民主主義に対する失望や嫌悪は日本をはじめいろいろな国で聞かれます。しかし民主主義体制が世界の潮流となった現在、この政治のしくみをなんとかうまく使いこなすためのヒントを、「べき論」ではなく、比較政治学を中心とした社会科学における実証分析の蓄積から掘り出してきて一般の人に紹介しよう、というのがこのブログのねらいです。(1ヶ月に1回を目安に更新します)

2015年6月13日土曜日

最高裁はいつ「伝家の宝刀」を抜くのか?


 最近、一票の格差問題や安全保障法案など、「違憲」かどうかが問題にされるニュースが目につきます。執行府や立法府の決定が憲法の規定に則っていれば合憲、いなければ違憲、となるわけですが、この点に関して公式かつ最終的な判断をするのは日本やアメリカの場合だったら最高裁判所ですし、ドイツ、フランス、韓国などでは憲法裁判この任にあたります(違憲審制度がそもそもない国も存在しす)。アメリカやドイツに比べると、日本ではほとんど違憲判決がだされていません。戦後から最近までの時期をとると、アメリカでは約200、ドイツでは約600の連邦レベルの法律が違憲とされているのに対し、日は、2013年の非嫡出子差別問題に対す違憲判決を含め10件しかありません。要すに、日本の最高裁は違憲判決という「伝家の宝刀」はほとんど抜くことがない、というのが一般的な理解です。
 なぜ日本の最高裁は違憲判決をほとんどださないのでしょうか?言い換えるとどういった状況のもとで司法府は違憲判決をだすのでしょうか?これまでの有力な通説は、内閣法制局が法案の事審査を十分こなうので、違憲と判断される恐れのある法案はそもそも国会審議のまえに修正されている、いうものでした。しかし、フランスにも同様の行政機関がありながら憲法裁判所(憲法院)は違憲判決を多くだしており[1]、精緻な事前審査だけが重要な要因とは考えにくいです。
 では、ほかにどのような要因があるのでしょうか?この問題を考える際に参考になるのが、ドイツの憲法裁判所を分析したヴァンバーグの研究です。彼の議論の出発点は、裁判官を、立法府が判決に対しどう対応するかを予測して自らの判断を変える「戦略的」な行為主体と位置づけている点です。つまり、違憲判決をだしても立法府は法改正しない場合もあり、立法府に「シカト」されそうな案件には違憲判決を初めからださないけど、対応が見込まれるものに対しは違憲判決をだすだろう、という前提です。この前提をもとにした彼の主張は、世論が支持する案件は(立法府がなんらかの対応をすることが見込まれるので)違憲という判決がでやすい、というものです。さらに、世論の支持を形成する要因としては、市民団体やオピニオンリーダーによる問題の顕在化、マスメディアによる情報の拡散、また、問題となっている案件が複雑すぎないこと(つまり、一般の人にとってわかりやすい問題であること)が重要であると指摘しています。これらの主張は、戦後から最近に至るまでのドイツ連邦憲法裁判所が出した判決を統計分析した結果に裏打ちされています。
 ヴァンバーグのロジックを応用すると、日本の場合においても、違憲かどうかが問われている案件に対し世論の積極的な支持がある場合には違憲判決がだされる可能性が高くなると考えられます。例えば、一票の格差問題は最近になって「違憲状態」とする判決が増えてきていますが、これは、一人一票実現国民会議などの市民運動が活発化し、それに伴ってマスメディアで取り上げられる頻度が上がっていること、要するに「世論の支持」が高まってきていることが背景にあると考えられます。
 つまるところ、3権分立の1つの柱である司法府が立法府・執行府に対して有効にチェック機能を果たすには、世論の後押しが重要なようです。


[出典] Vanberg, Georg (2004) The Politics of Constitutional Review in Germany, Cambridge University Press.


[1] Law, D. (2011) “Why has Judicial Review Failed in Japan?” Washington University Law Review, 88-6:1425-1466.